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梅雨の終わりに

雲の中の光




日曜日から、ブログが少しトラブル。
管理画面にログインできない。
コメント欄も開かない。
月曜日には回復したけれど、
リンクとカテゴリーが消え去っていた。
記事そのものが消えなくて良かったというべきなのか?

土曜日に親類の人がなくなって日曜日は通夜、月曜日はお葬式と、
何かとバタバタとしていました。
人が死ぬっていうのは、すごく重い事実なんだな、と改めて実感しました。
死んで数日後には骨と灰だけになって、もう生きていた実体そのものがこの世から消え去る。
誰もが迎えるであろう最期の時。
人間の生なんて、なんて不確かなものなんだろう。
そう思うと何故かしら力が抜けてくる。
こんな日にブログを更新しなくても、という思いとともに、
何故かしら今の気持を少しでも残しておきたいという思いにもかられる。
これ以上書くと、ずっと沈み込んでしまいそうなので、
今回は好きな中也の詩を書いておきます。



寒い夜の自我像



きらびやかではないけれど

この一本の手綱をはなさず

この陰暗の地域を過ぎる!

その志明らかなれば

冬の夜を我は嘆かず

人々の焦燥のみの愁(かな)しみや

憧れに引廻される女等の鼻唄を

わが些細なる罰と感じ

そが、わが皮膚を刺すにまかす。



よろめくままに静もりを保ち、

聊(いささ)かは儀文めいた心地をもって

われはわが怠惰を諌める

寒月の下を往きながら。



陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、

わが魂の願ふことであった!








落ちる日

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Comment

沙音 | URL | 2007.07.10 02:16 | Edit
こんばんは そしてお疲れ様でした。

そういう時は、現実の流れと自分の今いる場所が同じでは無いような気持ちになりますね、まるで浮遊しているような・・・
いろいろな感情は、きっと後からやってくるものだから、今は静かに過ごされることを祈ります。
シェイド | URL | 2007.07.10 11:07
喪失そして復活。
映画ゴーストにあったラストシーンを思い出します。
勿論記事を読んだ上でですが。

お忙しかったんですね。お疲れ様でした。
私も今似たような状況なのでこの写真はそんな風に思えます。
1つの生命の終焉を看取るべく病院へ詰めております
なかなか幕は下りませんが生きることへの執念を感じています。

それでもひたすら回復して元のように畑に行きたいと願う義父の強さを見習うべきなんでしょうけど
願えば願うほど苦しみは募ります。
見ているのも辛いものがあります。

ゆっくりと疲れを癒してください。
気疲れが一番堪えますから・・・
きょう | URL | 2007.07.10 22:57
こんばんは。
いろいろと大変だったのですね。
お疲れでしょう。

1枚目の写真をみたとき、叔父が亡くなりその葬式に
いく途中の景色を思いだしました。
雲の隙間から零れ、まっすぐに伸びた光が
亡くなった人の魂を空へ導くのだな、
と思いながら眺めていました。
光とは、人の心をいろんな感情へ導きもしますね。
夕焼けの映った海は、人の心に染み付くようですね。
心に残る写真です。ありがとう。
ながれ星 | URL | 2007.07.10 23:12
こんばんは、沙音さん。

人は自分の力ではどうにもならないことに直面すると、
心を閉ざさずにはいられないのかもしれませんね。
自分の心が硬直しているようで、
本当は悲しい思いなんかがいろいろあるんだけれど、
それを敢えて表に出さず、受け入れもしない部分があります。
もっと素直になれたらという思いと、
少々のことで揺れ動く心が弱さに繋がっているような思いと、
自分でもよくわからない思いにかられます。

ありがとうございました。

ながれ星 | URL | 2007.07.10 23:23
シェイドさん、こんばんは。

魂に終焉などないんだと思えたらどんなにか良いでしょう。
人は生まれ変われるのかもしれません、あるいは天国みたいな所が本当にあるのかもしれません。
でも、今生きている現実の中で、呼吸が止まり、脈が止まり、体が硬直していく。
そんな生の終焉の前には概念だけの生はあまりにも空しいような気がします。
生まれ変われるなら、今すぐにでも、生きている記憶のある自分たちの前にその姿を見せてよと言いたいです。
残念ながら、終幕を待つしかない時というのも確かにあるようです。
私の父がそうであったように、もうどんな治療も効かない状態の時。
それでも少しでも長くと思うのが良いのか、
少しでも楽なようにと思うべきなのか、
私には今もわかりません。
重い時間、辛い時間ですね。
どうか、自分の体にはくれぐれもお気をつけてください。
ありがとうございました。

ながれ星 | URL | 2007.07.10 23:31
きょうさん、こんばんは。

死が闇なら、光は生ですよね。
魂が光に吸い込まれるように、天に導かれると良いですが・・・・。
いずれは自分も死ぬんですよね。
死んで焼かれて、骨になって。
骨は一体生きていた時間のどれほどのことを覚えているんでしょうか?
生きられるのはとても短い時間。
生き急ぐ必要はないかもしれませんが、
やっぱり走り出したくなります。
燃やされる前に燃えつきましょう。

ありがとうございました。
| | 2010.02.17 20:05
このコメントは管理人のみ閲覧できます
ながれ星 | URL | 2010.02.18 02:08
鍵コメさん、こんばんは。

古い記事にコメントいただいて恐縮です。

死は全ての人に訪れるものです。
今60億の人が生きているのなら、その60億人の死が遅かれ早かれ訪れます。
言い換えれば、死はいたってありふれたどこにでもあるものとも言えます。
でも、誰にでも訪れるものであっても、
やっぱりそれは特別なものです。
特別なものであればあるほど、
特別なものの相手をすべきではないと私は思います。
鍵コメさんの言う、「生きていたという証」のためではなく、
「生きているという証」を今は追い求めて欲しいと思います。
生きていた証は、きっと本人が作るものではなく、
その人を知る人たちの記憶の中に続いて行くものだと思います。
いろんなことがあるでしょうけれど、
私たちは過去や未来に生きているのではなく、
今という時間の中にだけしか生きて行くことができません。
そんな今を肯定できるのは、やはり自分だけではないでしょうか。

まぁ、やれるだけのことはやってみましょう。
結果はともあれ。
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